top of page
風光明媚なロードバイク

私のストーリー

わたし(神)は あなたがたのために

立てている計画をよく知っている

それはわざわいではなくて

平安を与える計画であり

あなたがたに将来と希望を

与えるためのものだ

(聖書より)

海辺で眺める夕日

何の心配もない人生があった!

(50代男性)

男3人兄弟の長男として生まれた私は、大学生になるまで、小さな借家に家族5人で生活していました。経済的に厳しい貧困家庭で、私が小学校に入学した頃には、生活費を補うため、母親も昼夜働いていました。小学4年生頃のある朝、母親がお金のことで泣きながら父と口論していたことを、今でもはっきりと覚えています。次第に兄弟感もぎくしゃくした関係となり、家族全員がバラバラの生活になっていきました。

その後両親は離婚し、父親は故郷の九州へ、私は大学に通うため千葉で下宿生活、弟たちは金銭的な理由で就職と、それぞれの生活を送ることになりました。幼少期から常に空虚感を味わいながら過ごし、社会人になってからも特に幸せを感じることも目標もなく、ただ無駄に時間を過ごして生きていました。

フィールドでの少年

そんな中、転職した茨城県つくば市の職場で、私は現在の妻と出会ったのです。

彼女の母親から、"お付き合いはマリッジカウンセリングを受けてから"との提案があり、

宣教師の先生を通して、初めて聖書を読みました。そして、お付き合いがきっかけではありましたが、彼女と共に洗礼を受け、クリスチャンとして生きていくことになりました。

しばらくして、転勤先の大阪でかなり責任の重い立場を与えられた時は、半ば鬱状態となり、幼少期以上に苦しい日々を過ごしました。

しかし神様は常に私のそばに寄り添い、私に幸せな家族と、

生きる喜びを用意していてくれたのです。

ファミリービーチでウォーキング

神様を通して、私は家族やプライベートを大切にするようになりました。仕事では引き続き責任あるポストにありますが、神様が寄り添ってくれているので怖いものはありません。幸せを感じながら、本当にワクワクした毎日を過ごしていますし、常に"人生サイコー"をモットーに、笑顔でいられることを感謝しています。
 

何も心配しない(何の心配もない)人生があった!
本当の神だけができること

本物の神だけができること

(50代女性)

それは、私が社会人4年目の冬のことです。
全社的なプロジェクトの一端を任されたものの、圧倒的な力不足とプレッシャーに悩み、
連日の残業で心身ともに疲れ切っていました。
そんな日々の楽しみは、卒業後も続けていた休日のオーケストラ活動。
中でも、オーディションを経て参加した団体で、
著名な指揮者やソリストと完成度の高いハーモニーを織りなすひと時だけは、
自分の価値が引き上げられて、輝きと自信を取り戻せたかのような高揚感がありました。
その本番の舞台に、私は大学時代のヴァイオリンの先輩を招待しました。
演奏会は成功を収め、終演後に意気揚々と感想を求めたところ、先輩から思いもよらない反応が返ってきたのです。

「あの舞台には、音楽の本当の目的を知って演奏している人が一人もおらず、悲しかった。

音楽は神を讃えるために人間に与えられたのに」
「世界とそこにあるすべてを創造された神がいて、人間はその方のために造られ、生かされている。
それなのに、あなたを含めて皆が自分のためだけに、好き勝手に生きている」

silhouette photography of person_edited.

数年前にクリスチャンになったという先輩の痛烈な批評に強い反発を覚えながらも、これを素通りしてはいけない気がしました。
もしかしたら、私がずっと探し求めてきた2つのこと

―神の存在と、人生・音楽の目的―

についての答えがここにあるかもしれない。

それなら私は知る必要がある。

そう考えた私は次の日曜日、先輩が探しておいてくれた教会の礼拝に、一人で行ってみることにしたのです。
その日のメッセージの内容については全く覚えていません。

ただ、その中で語られたシンプルなひとことが、私の心を瞬間的に捉えました。

「神は ありのままのあなたを そのままで愛しています」

たとえ、社会や両親が求める基準を満たすことができない私でも。
何ひとつ、輝かしい成果を上げられなかったとしても。
一番になれなくても、たとえ罪を犯してしまったとしても。
どんな時も絶対に見捨てないで私を愛することができるなら、
その神様は本物だ。

この神様を信じたい。いや、今信じなければ。
気づいた時には泣きながら講壇の前に立っており、自分に起こっていることを何とか説明し、
その場で神様を信じる告白をして救われました。

それは周りの誰か、もしくは過去の自分と比較することでしか自分の価値を確認できず、優越感と劣等感の狭間で決して安らぐことのなかった自分からの解放でもありました。
かつて味わったことのないほどの幸せと、やっと本来の場所に帰って来られたような安堵に満たされて、嬉し涙が止まりませんでした。

今日までの歩みを振り返る時、

変わることのない神様の誠実さと恵みの深さに圧倒されて、
感謝で心がいっぱいになります。

文字通りご自分のいのちをかけて私を愛してくださった方の愛と、

その十字架による救いに信頼して、
いのちの日のかぎり、神様をほめたたえていきたいと願っています。

bottom of page